季節と読書の日記

移り変わる季節、生活の中で思い出す物語を紹介します。

大晦日に総決算、お金は大事だよという話。「大晦日はあはぬ算用」と「大つごもり」

皆さん、こんにちは。大晦日、忙しいですね。

私は掃除や買い出しなどで、後回しにしていたレシート整理と家計簿から目を背けています。

 

ところで、大晦日のことを「おおつごもり」というとご存じでしたか。私は大学生の時、江戸前期の浮世草子作者井原西鶴の『西鶴諸国はなし』に収められている「大晦日(おほつごもり)はあはぬ算用(さんよう)」というお話で知りました。

「おおつごもり」という音が面白くて、それからは時々使っています。

 

この『西鶴諸国はなし』は不思議なお話が多く収められていますが、「大晦日はあはぬ算用」も、見方によってはちょっと不思議なお話かもしれません。

以下あらすじをご紹介します。

 

原田内助という浪人は、掛売りの代金を取りに来た米屋を追いかえし、女房の兄に金の無心をする貧乏な生活をしています。その女房の兄、迷いながらも十両を送ってくれました。喜んだ内助は、仲間を七人集めて宴会を始めます。そこで、手に入れた十両を見せます。ところが、酒が進み、小判を仕舞おうとしたところ、一両足りません。

一人ずつ衣服を脱いで確かめていたところ、三人目の人は、たまたま一両持っていると言い、切腹しようとして大騒ぎになります。そこに、誰かが「小判はこれにあり」と行燈の陰から小判を投げ出しました。すると次に女房が、重箱の蓋にくっついていましたと、もう一両持ってきます。全部で十一両になってしまいました。誰かがこの危機を救うために一両を投げ出したのだと思ったが、誰も名乗り出ません。

内助は、一両を庭の手水鉢の上に置いて、一人ずつ帰ってもらうことにしました。全員が帰った後、見てみると、一両はなくなっていたということです。

 

現代人の感覚からすると、宴会しながらお金を見せない方がいいよって言いたくなりますね。そして、一両がもとの持ち主に返っているといいですね。

「かれこれ武士のつきあい、格別ぞかし」と書かれているので、客も内助も対応が素晴らしかったと、素直に読めば受け取ることができます。

しかし、この中に犯人がいる……とか、第三者が一両を投げ込んだとか、色々考えても面白い作品です。

また、井原西鶴は『世間胸算用』という大晦日の町人生活を描いた作品も書いています。

 

この前、この作品を話題にしたら、「樋口一葉も「大つごもり」って書いてるよ」と、教えてもらいました。知らなかった……。

調べてみると、井原西鶴の文体や発想に影響を受けた作品のようで、ウィキペディアの他にも、論文などが検索ヒットしました。有名だったんですね……。

 

というわけで読んでみました。

あらすじを紹介したいのですが、最後がオチとして面白い印象だったので、ネタバレしたくない方は気をつけてください。

 

主人公は厳しい御新造(奥様)のいる家で奉公する十八歳のお峯。父母を亡くしていますが、育ての親である伯父が病に倒れ、借金もしてしまいます。借りた十円の期限が迫り、をどり(期限を延ばしてもらうときに払う金)と、年越しのための金を奉公先で借りて来て欲しいと伯父から頼まれます。

さて、お峯が奉公している家には、石之助という息子がいますが、今の奥様の息子ではないようで、十五の春から不了簡をはじめ(良くない考え、不良になったというところでしょうか)、金遣いも荒い放蕩者でした。石之助が帰ってくると、奥様も機嫌が悪くなり、お金を借りられそうにありません。お峯は仕方なく硯の引出しから、束(札束)のうち二枚を盗んでしまいます。

石之助の方は父親に無心して五十円束を受け取り出て行きますが、お峯の方は先程の盗みがバレてしまうのではと心中穏やかではありません。なにしろ、今夜は大勘定といって、あるだけの金をまとめて封印する日だったのです。伯父に罪がいかないよう、自害も決意するお峯でしたが、硯の引出しの中から、なんと束ごとなくなっているではありませんか。ただ「引出しの分も拝借致し候  石之助」と書かれた紙切れが見つかりました。

 

おかげでお峯は助かったのですが、石之助は知っていてお峯を助けたのか、知らないで金を盗んだのか、見方によって印象が変わりますね。

お峯の伯父も回復すればいいのですが。きっと年が明ければ良い方向に向かってくれると願わずにはいられません。

 

どちらのお話もお金は大事だと思わせてくれますね。

さて、私は年末にATMに寄るのを忘れましたが、お財布の中に樋口一葉を発見したので、無事に今年は彼女と年越しです。

皆さん、よいお年をお迎えください。