みなさん、こんにちは。
少し久しぶりになってしまいましたが、お元気でしょうか。
今日は節分ですね。外に出ると、小さな子供の「鬼は外、福は内」という声が聞こえてくることもあります。
そんな時、思い出すのが、あまんきみこ作の「おにたのぼうし」です。
この話は、小学校の国語の教科書に載っていたと記憶しているのですが、タイトルや結末が思い出せずにいました。
ですので、思い出したこの機会に「節分 児童書」で検索しました。
作者のあまんきみこさんは、ほかにも「ちいちゃんのかげおくり」(こちらも教科書などでご存じの方が多いかもしれません)などを書かれている児童文学作家でした。
タイトルがわかったので、記事やNHKの読み聞かせ番組「おはなしのくに」に辿りつけました。
この「おはなしのくに」はネットで教材用として公開しているのか、こだま愛さんの優しい朗読を最初から最後まで楽しめました。
気になる「おにたのぼうし」の内容ですが、優しい世界観なのに考えさせられるものでした。以下内容になります。
ストーリー
節分の夜のこと、まことくんが元気に豆まきをはじめます。まことくんの家の物置小屋に、黒おにの子供のおにたは住んでいたのですが、仕方ないので出て行くことになります。おにたは、なくしたビー玉を拾ってやったり、にわか雨に濡れないように洗濯物をいれてあげたり、お父さんの靴を磨いてあげたり、良いことをしてくれているのですが、だれもおにたがしたとは気づきません。
おにたは古い麦わら帽子(角を隠すためのもの)をかぶり、雪の中を歩きます。どこの家も豆まきをし、ひいらぎを飾ってある(ひいらぎは鬼の目を刺す)ため、中に入れません。
一軒の豆のにおいもしない、ひいらぎも飾っていない家を見つけたおにたは、中から女の子が出てきた隙に忍び込みます。家には、女の子のお母さんが病気で寝ていました。看病する女の子に、お母さんは「お腹が空いたでしょう」と問いかけます。女の子は、今日は節分だから余ったご馳走をもらって食べたと言います。貧しく寂れた台所を見て、おにたは女の子の嘘に気づくのです。そして、どこから持って来たのか、女の子が言っていた通りのごはんを、節分だからご馳走が余ったと言って差し出します。
笑顔になった女の子ですが、今度は豆まきがしたいと言い出しました。おにが来たら、お母さんの病気が悪くなるからと。おにたは悲しそうにしていましたが、こおりがとけたようにいなくなってしまいました。あとには麦わら帽子だけが残されていて、その下からは、まだあたたかい黒豆が出てきました。
切なすぎませんか。節分の夜、雪の中を鬼の子供が入れる家を探して歩いているシーンは覚えていたのですが、話全体が寂しかったですね。
寒い外から、よその家のあたたかそうな様子が見えるけど、自分は入れない、そんな気持ちになります。優しさと冷たさの空気感が、まさに冬と春の境目、節分でした。
そして、実は調べる前、登場する鬼の子供は、ちょっと悪戯をするような子で、貧しい女の子を見て改心して助けるけど、豆まきをして消えてしまう――というような内容だった気がしていました。
これは、鬼=悪さをするという固定観念があったからだと思います。気をつけなくてはいけません。
作中でおにたが「おにだって、いろいろあるのに」と言っています。見かけや、所属、属性で判断してしまう悲しさを説いているお話だったのです。
女の子もお母さんに元気になってほしい優しい女の子で、おにたも人間の家に住みつき、そっと手助けをしてくれる優しい鬼でした。なのに、なんともいえない切ない気持ちになるお話、節分の機会にいかがでしょう。
ちなみに、私はちゃんと豆まきをします。年に一度食べる素朴な炒った大豆は美味しいです。
恵方巻も近年は色々な種類があって、食べ比べて楽しんでいます。
みなさんも、無病息災を祈って、節分味わってみてくださいね。